夫のお弁当を作るついでにお昼の私たちのおにぎりも準備した。
今朝5時頃、私も目が覚めたので30分くらい母と話をした。
その話題が「おにぎり」のことだった。
私のいとこはたくさんいるが叔母たちが皆勤めていたので行楽ともなれば母が
作ったおにぎりを食べて大きくなった。
今でもお見舞いに来るとその時の話をするいとこがいる。
それぞれ大きくなって今は東京や仙台に住んでいるが母のおにぎりは懐かしい味として
心に残っているらしい。
大きな大きなおにぎりだった。
お昼レンジで温めた方が消化がいいよとすすめても おにぎりは冷めてもおいしいと
そのままを食べていた。
先日たくさん作った身欠きニシンの煮ものをおかずに大事そうに食べていた。
ちなみに夫のお弁当は醤油おにぎり、かぼちゃのサラダ、煮豆、ベーコンと葱の卵焼き
夕食前 日記を書いていた。
何を書いたの?と覗いてみるとお昼の醤油おにぎりのこと。
『おにぎりを作っておいてくれたので お昼に食べたら その美味しいこと。』
・・・とうれしい一文を見つけた。
そして嬉しいことばかりではなく こんなフレーズも・・・・。
『何かをしたいと思っても思うに任せず 今日も無為に過ごしてしまう。』と。
これは今日に限ったことではなく 時々母の日記帳から見つけるフレーズ。
病気を受け入れてはいるが やっぱり何かをして役立ちたい気持ちがあり、
私に何も手伝えないもどかしさを感じているのだろう。
老いていくことの寂しさも垣間見ることのできる母の日記
午前中 来客あり お花をいただいた トルコ桔梗
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晩ごはん
あんこうなべ
新玉ねぎとミツバの卵とじ